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随想  卯月

 

 墨田川には水上バスが定期就航していて、浅草と浜離宮・日の出桟橋の間を結んでいます。とくにこの花の季節は、堤沿いの桜を船中から仰ぎ見られるのでかなりの人気です。
 乗客はビール片手にのんびり桜鑑賞と洒落込めますが、クルー(乗組員)の方は、花見船が航路に多い時期だけに神経を使うようです。しかし、運航を実際に担当している船長さんなどにも楽しみはあって、川面に散った桜の花びらを愛でることなどは、その一つだそうです。
 満開の桜をあえてよしとしない美学は、武家政権が確立する鎌倉時代あたりから顕著になってきます。徒然草の有名な一節ですが、
  「花は盛りをのみ、月はくまなきをのみ見るものかは」
という語りは、日本人の美意識が窺えるものでしょう。散ることが美学とされるのは、やや負け惜しみの感もあります。しかし正直言って、僕も花を観賞するのなら、満開前の七分咲きの頃か、はらはらと落ちてくる桜吹雪の日の方が好きです。緋毛氈の小道を歩くなんて、最高に贅沢な時間だと思っています。

 ですが、改めて言われてみると水面に浮かんだ緋色模様も負けず魅力的です。地上の桜は直ぐに茶色になって汚れてしまいますが、川面を覆う桜は色褪せぬまま下流へと流れて行きます。紀貫之は、こう詠んでいます。

  吹く風と谷の水としなかりせば
           み山がくれの花を見ましや

 深山に咲く花の多くは、誰の目にも止まらずひっそりと咲き、ひっそりと散っていきます。しかし、そこに風が吹き桜の花びらを散らします。たまたま谷川に落ちて浮かんだ花びらは川の流れに乗り都にたどり着き、粋人の目にとまります。ちょっと計算づくの歌だなあとは思いますが、紅葉の話を書いたときにも触れたように、市井とは別の悠久の時間が流れる場所もあるということを、思い出させてくれる一首です。


 桜は入学の季節に咲く花だけに、個人の歴史を回顧させる力をもっていると思います。ピカピカのランドセルや、本格的な部活動の初練習、大教室での講義など色々な人生のシーンを懐かしくよみがえらせたりします。さらには、文字通り歴史そのものも彷彿とさせます。

 春高楼の花の宴
 めぐる盃 影さして
 千代の松ヶ枝わけいでし
 むかしの光今何処

 おなじみの荒城の月です。土井晩翠が若き日に訪れた会津鶴ヶ城を思い出して作った歌とされています。一方、作曲者の滝廉太郎は故郷である竹田岡城をイメージしていたのはつとに有名です。僕は両城ともに行ったことがあります。盛衰の史実を知るだけに感慨もひとしおだったと言いたいところですが、残念ながら桜の季節ではなかったので、何か胸に迫るものがなかったような記憶があります。今度は是非、花散る坂道を登城していきたいものです。



© 2003 ynishioka.



































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