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随想  文月

 

beach  『海の日』なんて、夏休みに入る学生たちにとっては有難くもなんともない日に祝日ができてしまいましたが、『山の日』はどうして祝日として存在しないのでしょうか。海派(まあ、海の方が山よりは好きといった程度の意味)の僕としても気にはなるところです。海開き、山開きなどという言葉がもつ季節感が格段に薄れてしまい、冬のサーファーや夏のスキーヤーが特別な存在でなくってきてはいても、なお夏の海はある種の郷愁を呼び起こします。海水浴なんてガキっぽい…と思われる向きでも、四方を海に囲まれたこの国では、入道雲やトウモロコシの畑と同じ位、パラソルの林立する浜辺は、夏を象徴するものとして真っ先に思い出す原風景ではないでしょうか。


 浜辺には海の家があります。最近でこそ洒落たビーチハウスなどと称するものも出現していますが、氷『氷』とか『サザエのつぼ焼き』などと旗の下がった葦簾掛けの小屋で、扇風機のまわる音を聞きながら、焼きトウモロコシなどを頬張れば、小学校の臨海学校を懐かしく思い出したりもします。店先で食した焼きトウモロコシは家庭ではなかなか味わえませんでした。遺伝子組替えなどと騒がれる以前の話です。当時はそんなに甘みのある品種もなく、あの醤油ダレに砂糖や味醂をいかに混ぜるのかはきっと秘伝だったのでしょう。ラムネを片手に少年は、枝豆+ビールのオヤジ感覚を疑似体験するのです。造波プールを売りにした室内型のウォーターパーク、例えばオーシャンドームとかワイルドブルーが相次いで閉鎖に追い込まれた原因は、さざえその維持管理費の高さに依るところが最も大きいのでしょうが、館内に漂うカルキ臭にも一因があったのではと思います。やはり潮風の匂いや、サザエやトウモロコシの香ばしさは、演出上不可欠だったのではないでしょうか。テーマパークとしては面白いものであっただけに復活を望んでいます。


 かき氷などで涼を取り、ゴザの上でまどろんでいると、遠く雷の音が聞こえ、今までの青空が一転黒くなってきました。夕立です。風も強くなり、海に入っていた人々も急ぎ上がってきます。 軒先の風鈴も吊るしている糸が切れんばかりに鳴り続けて、小さい嵐の襲来を告げます(何だか表題音楽の解説のようですね)。広重の浮世絵さながら縦縞のスクリーンが視界を覆い、トタン屋根をたたく雨音が耳を塞ぎ、遮蔽された空間に放り込まれます。焼け付いていた砂浜が冷やされるとき、錆くさい夕立の匂いが生暖かさとともに立ち上ってきます。しばし現(うつつ)の世界を離れていると、雷鳴が遠ざかり、庇から雨垂れの音がしていることに気付かされます。


 これで、海に虹でもかかっていれば、映画のラストシーンとなるのでしょうが、そんな演出などなくとも、朱に染まっていく黄昏の空は見飽きることがありません。

夕焼け

夕日が海に沈んでゆく日本海側も素晴らしいのですが、沈む陽に映し出された紅い雲に一日の終わりを感じる太平洋側もなかなかです。ウミネコがミャー、ミャーと鳴く小さな港の防波堤は、少年少女の日に送った夏の一日は、かくも甘美なものだったはずと追想する大人たちが多くいるからでしょう。日暮れ時は、海岸の平均年齢が少し高くなるような気がしませんか。










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