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随想  皐月

 

 僕は今一枚の写真を眺めている。今は亡き祖母の写真だ。母の母である。大学時代に愛用していたニコンF2を、どういう経緯だったか忘れたが、久し振りにひっぱり出したときに撮った一枚である。
 庭に出ていた祖母をモデルに何枚か撮影した。その背景に満開の白いツツジが見えるから、間違いなく五月の連休の頃だ。カメラを向けても所作が特に変わらぬ祖母は、被写体として最高だった。レンズを意識しないで自然に立ち振る舞えるのは、ただ歳をとって枯れていたからだけではあるまい。明治の女性独特の凛とした姿勢がそうさせていたように思える。
 他のカメラで撮った写真もあるし、ビデオムービーもあるが、声を聞くと切なくなりそうで、未だ動画の方は見ていない。祖母に縁の品はそれなりにあるのだが、ツツジの花を背にして佇んでいるこの写真がもっとも好きだ。


 晩春というより初夏を感じさせる日だった。東京の近郊というか片田舎に祖母は住んでいたので、最寄のインターチェンジを出てしばらく車を走らせるといつもながらの田園風景となった。ちょうど田植え前の時期で、代掻きをする田んぼには一面水が張られていた。
 今もそうだが、こんな風景はたまらなく郷愁を誘う。そこかしこに鎮守の森が浮島のように現れる。白鷺たちが待ちかねたように飛来し水辺を演出する。鏡面のような湖水を渡る船に車は変貌する。足が思わずアクセルから離れる。

 少し大きな畦に船を停めた。窓を開け深呼吸する。


 今はもうなくなってしまったのだが、家の入り口には枝振りのよい梅の木があった。白加賀という中梅を代表する品種で、祖母は自家製の梅干をこの実を利用して作っていた。
 青々と葉を茂らせたその木の下に、船から再び変身した車を止める。実もたわわに成っていて、ときどきドンという音をさせながら、車の屋根に落ちてくる。凹みはしないのだが、低音ながらよく響く。こんなものも五月の音などといったら笑われるだろうか。


 畑と呼ぶにはもちろん狭いのだが、庭には様々な野菜が育てられていた。この季節にはなんとアスパラガスまであって、味噌汁の具になったりした。しかし、何と言ってもこの季節は韮がおいしかった。細い韮なのだが、堆肥がよいのか柔らかくエグみがない。祖母の手造り味噌ととてもよく合った。着いた翌日、これを啜りつつ朝食をとった。
 五月晴れの空の下、気持ちのよい微風が吹いていた。白髪を束ね祖母はいつも通り庭の手入れを始めた。花々を愛でる視線の優しさに気づき、僕は思わずシャッターを押していた。
 誰の人生も平坦なものではないだろう。そして彼女のものもまたそうであった。厳しさの中にあってなお平静さを失わなかった祖母の境地に、まだまだ辿り着けぬ自分を感じている。


 主なき庭にツツジは今年も咲いていることだろう。










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