ynishioka.net
ynishioka.net

>>top  profile / F.o.R. / strategist / books / monograph

                 → 'essay' 一覧へ



随想  霜月



銀杏  「初夏がいいですよ」と、かつて嵯峨の二尊院を秋たけなわの時期に訪ねたとき地元の方に言われました。緑したたる小道を木漏れ日を浴びながら歩くのも、それはそれで癒されそうだなぁと想像はできます。ですが、いかに人がごった返していようと、オンシーズンで割高になっていようと、もみじが乾燥で茶枯れしていようとも、やっぱり僕にとっての京都は秋です。
 貴船から鞍馬にかけて、水筒(実際はミネラルウォーターのペットボトル)を提げてたどる山道も、上賀茂神社で焼餅を頬張りながら、碧空を朱に染める一本の楓を見るのも、秋ならではの風情です。哲学の道も他の季節より何となくありがたみが増します。そして、かなり人気(にんき)の観光地でも、ふっと人気(ひとけ)を感じなくなる時間があるのですが、その静寂の深さがまた違うのです。


 また、東北は角館から九州の飫肥に至るまで、列島各地に小京都と呼ばれる町はたくさんあります。確かに何処も桜咲く春は捨てがたいのですが、小生の知る限りにおいては、どの地も再訪するならやはり秋かなと思います。山に囲まれ水清き地に位置することがこれらの町の条件なのですが、沿岸部に較べ、寒暖の差が激しい盆地特有の気候は、必然的に紅葉を鮮やかにし、冬への緊張をいやが応にも高めます。
 秋はもののあはれを感じると人は言います。次に控える季節の厳しさを考えるからでしょうか。それとも収穫の宴後の虚脱からでしょうか。昼時間の減少とホルモン分泌の関係という説明も嫌いではありませんが・・・。


 ところで、小京都と称される町の多くは「もののふ(武士)」の町です。ですから、武家屋敷なるものが観光のメインになっているのも必定です。本家京都の成り立ちから考えれば、出自の全く違うものと言えます。となれば、佐原や川越のように小江戸とでも呼んでいただいた方が筋ではないかなどと一時は思ったりもしていました。まぁ要は、何処に憧憬をもってその町を眺めるかという一点に帰着するのでしょう。
 この国における主要都市が、小東京と化そうとしている現状を見るにつけ、均質化の功罪を考えざるを得ません。未来に対する首都の責任は重いといえます。

武家屋敷

 もちろん、フランスの魂はパリにではなくその広大な田舎にあるように、この国も東京と小東京が覆う面積はわずかなものです。蔵王や日光の紅葉は、街で行われる営みとは異なる時間を刻んでゆきます。意外かもしれませんが、里山の風景もまた人の手により作られたものなのです。黄金色に染まる実りの稲田と同じく、錦織りなす山々もけっして自然美などではないのです。
 山野をキャンバスに植林し、田畑を耕し、橋を架け、護岸をして感動を共有できる絵に仕上げてきた先人たちの歴史に想いを馳せるのは、後生たる我々が次に何を残せるかを考える契機となるでしょう。










© 2002 ynishioka.





top  next


→ 'essay' 一覧へ