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随想 長月 |
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空の高さに長い休みがあけたことを知り、街に日常が戻ってくると、宴(うたげ)の終わりをしみじみ感じます。
月見れば千々にものこそかなしけれ、 大江千里の歌をなぜか思い出します。月は年中見ているわけですし、千里の心境に共感している訳でもないのですが、誰しも抱えている程度の悩みでも、感傷的にさせる輝きなのです。
かれこれ二十年も昔になりますが、オーストラリアを旅していたとき、(彼の地で言えば長月に相当する三月に)キャンベラからメルボルンへ向かう夜行バスに乗ったことがあります。四十席ほどの車内は満席で、隣には'Royal Air Force'と記されたブックレットを抱えた制服姿の男が座っていました。読書灯を点けて長い間書類の同じページをぼんやり眺めていました。'Royal'という単語にこの国の本音と建前を垣間見ながら、僕は寝付けないでいました。そのうち、レストストップでバスが止まりました。「20分停車」という運転手のコールが聞こえたので、車外へと出ました。ドライブインの明かりが届かないところまでと、潅木の間の砂地を歩いて行きます。 二度目は、海を照らす満月です。とある九州のホテルに泊まった折、長く平行に伸びる松林とシーサイドロードと太平洋をまとめて照らし出す月明かりを40階の窓から眺めることができました。雲一つない夜空から光が文字通り降りて来ていました。部屋の照明はすべて消し、この国にもこんな風景があるのだなあと時を忘れて見とれていました。沿岸を航行する貨物船や沖合いの漁船までが、静かな海にふさわしいオブジェとして存在しています。そこには確かに最上質のリゾートがありました。
スペースシャトルから見ると、地球の夜の部分では日本が異常に明るいと言われます。確かに、24時間営業のコンビニやファミレスが立ち並ぶ街の谷間からは、一等星さえろくに判別できません。それでも、マンションの窓辺にススキとお団子が供えられているのを見つけたりすると、なんだかホッとするのです。ユーミンは「明日の晩からは欠ける満月より〜♪十四番目の月が好き♪」と詠いました。好きな歌詞の一つではありますが、僕は散ると知っているからこそ賞でる(満開前の)七分咲きの桜に、その思いを譲ります。花見が陽に隠された陰を味わうものなら、月見は陰の中に潜む陽を見出す宴なのだと思います。
白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の © 2002 ynishioka. |
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