随想 文月

 『海の日』なんて、夏休みに入る学生たちにとっては有難くもなんともない日に祝日ができてしまいましたが、『山の日』はどうして祝日として存在しないのでしょうか。海派(まあ、海の方が山よりは好きといった程度の意味)の僕としても気にはなるところです。海開き、山開きなどという言葉がもつ季節感が格段に薄れてしまい、冬のサーファーや夏のスキーヤーが特別な存在でなくってきてはいても、なお夏の海はある種の郷愁を呼び起こします。海水浴なんてガキっぽい…と思われる向きでも、四方を海に囲まれたこの国では、入道雲やトウモロコシの畑と同じ位、パラソルの林立する浜辺は、夏を象徴するものとして真っ先に思い出す原風景ではないでしょうか。

 浜辺には海の家があります。最近でこそ洒落たビーチハウスなどと称するものも出現していますが、『氷』とか『サザエのつぼ焼き』などと旗の下がった葦簾掛けの小屋で、扇風機のまわる音を聞きながら、焼きトウモロコシなどを頬張れば、小学校の臨海学校を懐かしく思い出したりもします。店先で食した焼きトウモロコシは家庭ではなかなか味わえませんでした。遺伝子組替えなどと騒がれる以前の話です。当時はそんなに甘みのある品種もなく、あの醤油ダレに砂糖や味醂をいかに混ぜるのかはきっと秘伝だったのでしょう。ラムネを片手に少年は、枝豆+ビールのオヤジ感覚を疑似体験するのです。造波プールを売りにした室内型のウォーターパーク、例えばオーシャンドームとかワイルドブルーが相次いで閉鎖に追い込まれた原因は、 [next]



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