1° 問題が解ける理由
「問題を解く」ことを要求されるとき、この『問題』とか「解く」とはいったい何を意味しているのでしょうか。まず『問題』あるいは『問』ですが、大きく二つに分類されると考えます。
一つは、『解外在型・解不在型』とでも言うべきなのでしょうが、地球環境問題や宗教対立問題のように、『解』がその『問』に事前には含まれていなかったり、あるいは、果たして『解』があるのかどうかさえ疑わしいものです。
もう一つは『解内在型』の『問』です。クイズの問題や試験問題のように『解』が『問』と一意的な対応をもっていて、出題された時点において期待される『解』が既に決定されているようなものです。
ここで、一意的(unique)とは「ただ一つの、ただ一つに定まる」という意味です。もっとも、この一意性が怪しい問題は多々見受けられます。例えば、小学生レベルの歴史クイズですが、
「1492年にアメリカ大陸を発見したのは□である」という空欄補充問題で、この□に『すごいこと』と入れた子供がいたという話を聞いたことがあります。まあ、出題者は『コロンブス』と入れさせたかったのでしょうが、そもそも、1492年にコロンブスが到達したのは西インド諸島(この名付け方からしてなんて傲慢なのだろう)ですから、ヨーロッパ側からの来訪者(1)という意味においては、この設問の正解はないということになります。
注(1)
ヴァイキングのレイフ・エリクソン(英語では Leif Ericson、アイスランド語では Leifur Eiriksson)が997年に現在のバフィン島を発見して「ヘルランド」と名づけた後、南下して別の陸地を見つけ「マークランド」(カナダ北東部のラブラドル地方と推測される) 、さらに南下して「ヴィンランド」と名づけた場所まで行きグリーンランドへと戻ったのが西暦1000年、これが史実らしいです。となると、コロンブスなどはちっとも最初の発見者ではないですね。
ましてやネイティブ・アメリカン(これまた尊大な言い方で、アメリカという表記自体イタリア人アメリゴ・ベスプッチに由来している(2))側からすれば、「事実ならば…、すごいこと」と皮肉の一つもこめて言いたくもなるでしょう。つまるところ、□には『怪しいこと』と入れようが『謎』と入れようが構わないということになりそうです。
注(2)
これまた、別の説がありまして、1497年にキャボット (John Cabot)が北米大陸への探検を図っているのですが、イングランドのエイヴォン州 (Avon) 西部ブリストル (Bristol) の州長官アメリック (Richard Ameryk) が、このキャボットの航海を支援していたので、キャボットは、敬愛するアメリックの名にちなんで、'America'と名づけたとするものです。ウーーンワカラン!!
ですから、試験問題はそれが大学入試であろうと、中学入試であろうと、はたまた国家資格試験であろうと、選抜上で不公平感を感じさせてはまずい類のものでは、できるだけ『解』の一意性に配慮した出題が図られることになります。「あれも解、これも解、それも解」(3)では、その試験による選抜の信憑性が問われかねないのです。
注(3)
その昔ヒットした歌謡曲で「あれも愛、これも愛、それも愛…」なんて歌がありました。受験の世界に限らず、どうも博愛主義とご都合主義は紙一重のところにありそうです。
となれば、『解内在型』の問題において、「解く」とは『問』から『解』を一意的に復元していく行為ということになります。解答者が期待されない解を結論として位置づけないように、その復元の筋道にはさまざまな誘導が仕掛けられることになります。設問中で明示されたり、時として暗示される誘導(navigation)にしたがって、目的地=『解』へと粛々と進んで行けばよいのです。何も試験会場において、ヒラメキなど待たなくともよいのです。もし、そこに『センス』が必要というのでしたら、その誘導を見破れることこそが『センス』でしょう。
では、その『センス』はいかにしたら身につくのでしょうか。いささか怪しげな響きのあるこの言葉の正体は何なのでしょうか。「所詮…センスさ」などという諦めの文脈で使わなくともすむように、私がその『センス』と考えるものすなわち、『判断枠組』をここに示したいと思います。
2° 方略の体系化
『判断枠組』とは、問題解決への技法=『方略』の体系です。実社会の組織の多く、例えば会社や役所のようなものでは、部・課・係といった階層的構造(hierarchic structure)をもちます。これと同様に『判断枠組』も体系全体を掌握しやすいように階層構造で示されます。そして、そのもっとも上部に位置する方略を、私は『戦略』(strategy)と呼んでいます。問題を俯瞰する上で、最上位に位置するマクロ(巨視的)な解決視点・解決方法ということになります。
その戦略として、『認識』『解析』『還元』の3つを挙げたいと考えます。戦略は多ければ多いほどいいのではないかと思われる方もいらっしゃるのでしょうが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。方略が雑然と100もあれば、「どれを試そうか」なんて考えているうちに、解決の機会が失われてしまうこともありそうです。
そして、『戦略』の下部構造として、『作戦』や『戦術』を位置付けます。これらのピラミッド構造(階層構造)をした方略の体系が『判断枠組』です。ただ、『作戦』や『戦術』の詳細については別の機会に記したいと考えますので、ここでは3つの戦略について説明しましょう。
戦略T 認識的アプローチ
戦略U 解析的アプローチ
戦略V 還元的アプローチ
3° 戦略 T 認識的アプローチ
4° 戦略 U 解析的アプローチ
5° 戦略 V 還元的アプローチ
6° 誤解されたくないこと
私が提案している『戦略』は、
Aという問題には解法αを対応させる
Bという問題には解法βを対応させる
Cという問題には解法γを対応させる
Dという問題には解法δを対応させる
といった単なる問と解の対応づけとは異なるものです。この手の方略は、例えば、 …といった問題がAと似ているから解法αを流用すればよいとする『パターン認識』を用いることを前提としています。しかし、パターンは「何がパターンなのか」を見破る(8)ことが実はもっとも難しく、そこに明確な方針を与えていない以上、方法論としての普遍性が問われると思うのです。
注(8)
今では当然のように使っている郵便番号ですが、手書きの数字を正確に読み取り機に判定させられるようになるまでには、文字通り血の滲むような努力があったことを忘れてはならないでしょう。たかだか3という数字でさえ、人によって書き癖が千差万別で、3なのか8なのか悩むなんてことはしばしばありますよね。
当然、『判断枠組』を適用する場合には、
(1)というパターンの問題には戦略Tを対応させる
(2)というパターンの問題には戦略Uを対応させる
(3)というパターンの問題には戦略Vを対応させる
といった使い方を念頭において欲しくないのです。
全ての問題に対し、この3つの戦略を駆使して向かい合う。そして、暗示された誘導を明示化することを狙っていくのです。