◆ メッセージ
「多数決の原理」は往々にして、『多数を占める意見は正しい』という命題と同値なものとして扱われることが多いのですが、皆さんにはそんな詭弁に騙される人になって欲しくないと思います。
ドイツの「クレッツァー」というグループをご存知ですか。『えっ、知らないな。で、どんな曲出してるの』と思わず訊ねられてしまいそうな名前ですが、実は「子供の権利を勝ち取るぞ」という文における各単語のイニシアルをつづって作った団体名なのです。13歳から18歳の少年少女たちで構成された彼等は参政権の年齢制限撤廃を訴え続けています。その主張の根拠は『これからの世代に関係する政策を、その世代を抜きにして決定するな』という明快なものです。したがって例えば、『徴兵制の賛否への投票が可能になる前に、徴兵義務に応じなければならない』とか、『現行の老人福祉のつけを自分たちの世代が負うことを、上の世代が勝手に決定する』といったことが問題だと指摘しています。
少年法についての議論がどの国においても昨今盛んに行われていますが、考えてみれば刑事責任年齢の引き下げを図るなら、それと平行して成人としての権利を付与するのが道理というものでしょう。私たちが自明としてきた成人年齢という線引きに対し、一石を投じる行動といえます。15歳の大人もいれば、30歳のガキもいます。年齢は能力の絶対的な尺度にはならないのです。あくまで便宜的な基準にしか過ぎません。ちなみに皆さんは、20歳をもって成人とする必然を説明できますか。
さて、そんな自明とされる怪しいものの中に「多数決の原理」があります。それは往々にして、
『多数を占める意見は正しい』
という命題と同値なものとして扱われることが多いのですが、もし、多数の意見が正しくないとしたら、選挙なんてやるだけ無駄ということになります。
【 問 1 】
中の見えない箱に、白球が4個、赤球が1個入っている。
箱の中をよくかき回して、そのうちの1個を取り出すとき、
それが赤球である確率を求めよ。
簡単じゃないか。答えは1/5(20%)だろう…と考えた君。本当にそれで大丈夫ですか。『白球と赤球は大きさが等しい』なんて設問のどこにも書いてありません。もし、赤球の直径が白球の直径の2倍だったとしても、やっぱり答えは1/5だと…君は主張できますか。
良心的な大学では入試の出題の際、この手の設問では『どの球の取り出しやすさも同程度に等しいとする』という条件を加えます。もし問題文にこの「先験確率(a priori probability)」の規定がなければ、答案の書き出しにおいて、『どの球の取り出しやすさも同程度に等しいと考える』という一行を書くくらいの慎重さは必要かもしれません。でないと…
【 問 2 】
マーガレットの花を用いて、
好き、嫌い、好き、嫌い、…
と「恋占い」をすることの問題点を指摘せよ。
なんて自然科学系の小論文を書かされる身の上の不幸にもなったとき、「占い」は非科学的だからとか、相手には「好き」「嫌い」以外の感情もありえるから、はたまたマーガレットの花弁の数に問題がある…などと考えては、出題者の意図とは1000光年も離れた解答を提出するはめになってしまいます。
これも「先験確率(a priori probability)」が問題なのです。件の「恋占い」は傲慢にも、相手が自分のことを好きだと思っている確率が1/2(50%)だということを前提にしていることが怪しいのです。まあ謙虚な皆さんなら、
好き、嫌い、嫌い、嫌い、好き、嫌い、嫌い、嫌い、…
ぐらいで占っているかも知れませんが。
考えてみれば、「多数決」などというものは、他に良い代案もないからという理由のみで、我々が共有すべき判断の決定手段とされています。しかし、「正しさ」を定量化することなどもともと困難なのだと百歩譲っても、『多数を占める意見は正しい』なる命題を真とするには、それを躊躇させるものがあります。もし、無条件に「真」とするならば、『「正義は勝つ」のではなく、「勝った者が正義なのだ」』といった人生を薄っぺらなものに感じさせてなお余りある台詞だってまかり通ってしまうのではないでしょうか。果たして多数の意見は正しいものか否か検証してみましょう。
【 問 3 】
過去の経験から、真実を語る確率が各々2/3(67%),3/4(75%),8/9(89%)と判定されているA,B,Cの3名がいる。今、あなたが1枚のコインを投げたところ、コインはあなたの見えない場所に転がってしまった。その表裏を知りたいと思って、コインの見える場所にいるA,B,C3名に訊ねたところ、A,Bの両名は「表」、Cは「裏」と答えた。あなたはどちらを信じる方が有利か。ただし、コインの表裏の出方は同程度に確からしいことが確認されている。
この設問を単に「多数決の原理」的に捉えれば、2:1ですから、あなたは迷うことなく「表」を採用すべきです。しかし、これは全員の判断能力が等しいという仮説の上になりたっていることに気付くべきです。
ところが今、三者の信憑性は、2/3(67%),3/4(75%),8/9(89%)と異なっています。一般的に言えば、そこそこ信頼できる数字ですし、この3つの確率にすごい差があるようには思えませんから、やはり、多数派であるA,Bの二名が主張する「表」に賛同したくなります。しかし、落ち着いて考えると…、次のようになります。
まず、このケースでは以下の2つの可能性があります。
(1)実際にコインは表が出て、A,Bが本当、Cが嘘を言った。
(2) 実際にコインは裏が出て、A,Bが嘘、Cが本当を言った。
さて、
(1)の場合が起る確率P1は、
コインの表が出て(確率1/2) かつ Aが本当のことを言い(2/3)、Bも真実を言い(3/4)、Cだけが嘘をつく(1-8/9) ので、
となります。一方、
(2) の場合が起る確率P2は、
コインの裏が出て(確率1/2) かつ Aが嘘を言い(1-2/3)、Bも嘘を付き(1-3/4)、Cだけが真実を言う(8/9) ので、
となります。そこで、
両者が出現する確率を比べると、1/36<1/27となり (2) の場合の方が可能性は高いので、実は少数派であるCを信じて「裏」と答えた方が、あなたにとって有利であることが判明します…。如何でしょうか、意外ですか。
民主主義の象徴ともされる「多数決の原理」ですが、あくまでそれが有効とされるのは、構成員全てが同程度に正しい判断が出来ることを前提にしているからで、そこが怪しい限り、『多数を占める意見は正しい』は単なるお題目にしか過ぎません。
憲法の規定に従って多数者の意志に従うことを要求しながらも、少数者もまた権利を有することを認め、『正しからんとする意志は合理的でなければならない。少数者も平等の権利を持っているものであり、…これを蹂躪することは弾圧に他ならないことという神聖な原理を、すべての人が十分心にとめて欲しい』といった趣旨の発言をしたのは、アメリカ大統領就任演説時のジェファーソンでした。
彼の愁いは、今なお我々にとって、未解決の宿題として存在しています。
追記
『常識を疑う勇気を持とう』と、主張される識者の方々は大勢いらっしゃいますが、「自明」とか「常識」という言葉自体、それ以上の説明が不可能だと思われるときに発せられるものです。授業で、『ここが一番疑問に感じている個所なのに…』というときに限って、『これは自明だから』とか『こんなの常識ですね』なんて言われてがっかりしたなんて経験をお持ちではないですか。教える側にとって本当に必要なのは「常識に逃げ込まない勇気」なのだと私は考えます。常識なんてもとより存在しているかどうかも怪しいものなのかも知れません。
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