【 問 2 】
前問と同じ砂金の山を、今度はA,B,C の三人で等分したい。重さを測る道具の類はまったくないのも同様である。どのような段取りで砂金を三等分していったらよいのだろうか。砂金を盛り分けるスプーンと取り皿は用いてよい。
【 解答例 】
次の何れかの段取りで分配できる。
(一)
操作 1: Aが砂金全体の1/3と納得できる量を小皿に取り分け、
(この時点で、もとの皿(これをα皿と名付ける)にはAが全体
の2/3と考える量が残っている)。この小皿をBに渡す。
操作 2: Bは、Aの分けた小皿にのった砂金が全体の1/3以下
だと思えば、その小皿には手をつけず、そのままCに渡す。
操作 3: Cも、Aの分けた小皿にのった砂金が全体の1/3以下
だと思えば、その小皿には手をつけず、そのままAに渡す。
この場合、Aは必ず戻ってきた小皿を取らなければならない。
(二)
操作 1: (一)の操作1と同じ
操作 2: Bは、Aの分けた小皿にのった砂金が全体の1/3以下
だと思えば、その小皿には手をつけず、そのままCに渡す。
操作 3: Cは、Aの分けた小皿にのった砂金が全体の1/3より多い
と思えば、その小皿を取る。
(三)
操作 1: (一)の操作1と同じ
操作 2: Bは、Aの分けた小皿にのった砂金が全体の1/3より多い
と思えば、その小皿にある砂金が全体の1/3となるように
砂金をもとの皿にもどし、その上で、小皿をCに渡す。
操作 3: Cは、Bの分けた小皿にのった砂金が全体の1/3より少な
いと思えば、その小皿には手をつけず、そのままBに渡す。
この場合、Bは必ず戻ってきた小皿を取らなければならない。
(四)
操作 1: (一)の操作1と同じ
操作 2: Bは、Aの分けた小皿にのった砂金が全体の1/3より多い
と思えば、その小皿にある砂金が全体の1/3となるように
砂金をもとの皿にもどし、その上で、小皿をCに渡す。
操作 3: Cは、Bの分けた小皿にのった砂金が全体の1/3以上だと
思えば、その小皿を取る。
どの場合も2人が残るので、そのときは、問1と同様にして分配する。
解答の中に登場した『分ける』という行為において二番目に重要なのは、最後に手を加えた者が必ず責任を取るということであり、そして、もっとも重要なことは、誰かが別室で小皿に取り分けて来て、残った部分を隠した上で(3)、これが1/3だよと他の者たちに示すのではなく、その小皿を受け取る本人が、取り残された部分も同時に見て比較し、確かに1/3だと納得できるという点なのです。
注(3)
会社のリストラや、国の金融再建策に対して、皆が不信を抱く最大の原因はここにあります。
杉本苑子の作品に「孤愁の岸」(4)があります。直木賞を受けたこの小説は、宝暦治水と称された史実をもとに書かれたものです。諸大名の統制を巧みに図った徳川幕府は、参勤交替、国替えなどの他に、普請助役を各大名に命じます。それは江戸を遠く離れた薩摩藩とて例外ではありませんでした。
濃州、勢州、尾州川々御普請御手伝い仰せつけられ候間、
その趣き存ぜられるべく候。
もっとも此の節、参府に及ばず候。恐々謹言。
幕府閣老五名の連署による、この五十余字の一通の下命奉書により、物語は始まります。要は濃尾地方の木曽川、長良川、伊尾川(揖斐川)の三河川と、それらの支流を含めた治水工事を薩摩藩にやれと命令してきたのです。「恐々謹言」など戯言、薩摩藩が断れるはずなどありません。刀や槍を使わぬ戦さを幕府に仕掛けられたのです。
藩勝手方家老平田靭負(ひらたゆきえ)を中心とした薩摩藩家臣団の奮闘が、経済的視点を縦軸に、心理的視点を横軸にして描かれていきます。当時六十万両もの借金があった藩財政に、さらに四十万両の普請資金を捻出していく余裕などないのですが、汗を流し、知恵を絞り、ときには非情と思える手段まで用いて、この難工事を遂行するのです。
工事の完成検分が済んだ夜、ささやかな祝いの膳を前に、総奉行平田靭負は江戸屋敷に戻る副奉行伊集院十蔵に、病の床にある主君にこう伝えてくれと頼みます。
「殿へお伝えいただきたい。…靭負、不肖にして多数の藩士を死なせ、おびただしい藩幣を費やしました。責めは…責めは痛感しております。−こう、殿へよしなに」
翌朝、靭負は自裁した姿で発見されます。勝ち目などもとよりない幕府との戦いに挑まされ、破れることが必然であってもなお、最後に差配した(砂金を盛り分けた)者として、責任を一身に背負って始末をつけようとしたのです。
彼の行動を忠君愛国などで評価するのは筋違いでしょう。もとより、彼は自裁の前夜、腹心の笈川鉄之助にこう語っています。
「工事は竣工し、薩摩の敗れもしたがって決定した。どうにもならぬこ事だが、この敗北を私は憎む。私は怒る! もし、腹を切るとすれば、執ねくなお、みずからの中に燃えつづけている怒り≠フ炎に私は焼き亡ぼされるのだ」
注(4)
「孤愁の岸 上・下」杉本苑子 講談社文庫 1982刊
はじめに「秤」有りきではないのです。平等を演出するために「秤」は産まれてきたのです。そして、「秤」が「秤」足り得るにはそれを使う人間によって結果を変えないという点(再現可能性)が不可欠で、それゆえ密室において「秤」を創造することはできないと私は考えるのです。
その意味において旧来の「平等」を支えてきた枠組みが崩壊した現在、それに替わる新しい枠組みの構築に先行する文脈として、「情報公開」が求められるのは必定だと私は考えます。自分たちの得ることのできる分け前が正当なものであるか否かは、全体を眺めることによってのみ判断できます。平田靭負の怒りは、密室で決まった五十余字の奉書に対する理不尽さに対するものであったと考えるのです。
‘ Life is not fair ’
ケネディの残した有名なせりふです。
平等を演出できるのは、最後の責任を誰が担うのかがあってこそです。まだ、
『由らしむべし、知らしむべからず』
といきますか。
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